2011年05月06日

忘れられないス−パーアイドル! 「山口百恵」


動画内容を更新したので再アップしました

☆★ 杏子 ★☆


*** 忘れられないス−パーアイドル ***


山口百恵



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山口 百恵(やまぐち ももえ、本名:三浦 百惠(みうら ももえ。旧姓:山口 やまぐち)、1959年(昭和34年)1月17日 - )は、日本の元歌手、女優。東京都渋谷区恵比寿出身。幼少時を神奈川県横浜市瀬谷区、横須賀市で過ごした。血液型はA型。瀬谷市立瀬谷小学校→横須賀市立鶴久保小学校卒業→横須賀市立不入斗(いりやまず)中学校→品川中学校(現:品川女子学院中等部)卒業→日出女子学園高等学校(現:日出高等学校)卒業。東京都国立市在住。

配偶者は、俳優の三浦友和(1980年11月19日結婚)。長男はロックバンドPeaky SALTのボーカル&ギター担当の「ユウ」(三浦祐太朗)。二男は俳優の三浦貴大。

1972年12月、オーディション番組『スター誕生!』で、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い、準優勝、20社から指名を受ける。

1973年4月、映画『としごろ』に出演し、5月21日に同名の曲で歌手としてもデビュー。森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた。デビューのキャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」。

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デビュー曲の「としごろ」は、スタッフの期待以下のセールスに止まったため、第二弾の「青い果実」ではイメージチェンジを図り、大胆な歌詞を歌わせる路線を取った。これは「青い性路線」(「性典ソング」)と呼ばれるようになり、それは1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花咲くこととなった。。年端のいかない少女が性行為を連想させるような際どい内容を歌うという、この「青い性」路線で百恵は絶大な人気を獲得することになる。歌詞の内容は際どかったが、辺見マリや夏木マリ、あるいは1970年代に復活した山本リンダなどのセクシー路線の歌手と違い、百恵は年齢が低くビジュアル面では純朴な少女というイメージだった。歌とビジュアルのギャップ、それに伴うある種の背徳感が、百恵の人気を独特なものにしていったと言われる。これは百恵の芸能人としての資質によるだけではなく、所属事務所やレコード会社による周到なイメージ戦略の賜物でもあった。「ひと夏の経験」を歌っていた時期のインタビューでは大抵「女の子の一番大切なものって何だと思いますか」と質問されたが、百恵は全て「まごころ」で通した[3]。

同曲が大ヒットした1974年には青春映画の名作『伊豆の踊子』に主演し、演技でも評価を得る。この映画で共演した相手役の三浦友和とはグリコプリッツのCMでこの年の夏に共演済であった。『伊豆の踊子』は一般公募で相手役を募集したが、このグリコCMを観た『伊豆の踊子』の監督、西河克己が最終選考の中に三浦の書類を入れたと言われている。三浦とはその後もテレビドラマやCMでも共演し、共に絶大な人気を博し、二人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれた。百恵の主演映画13作のうち12作は三浦との共演である。なお、これらの映画は東宝配給ながらすべて日活撮影所で製作され、監督やカメラマンも西河ら日活出身者が大部分を占めることもあり、往年の日活青春映画、文芸映画の後継的な意味合いも持っている。最後の『古都』もやはり日活製作であり、長谷川清カメラマンのみを連れて久々に東宝撮影所の外に出た市川崑監督は、馴染みの薄いスタッフを粘りに粘って叱咤し引退作を撮りあげた。

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映画デビューした1974年10月からはTBSのテレビドラマ赤いシリーズ(いわゆる大映ドラマ)でも好演、高い人気を集め、6年にも及ぶ人気ドラマとなる。

1976年 にはブロマイドの年間売上成績で第1位に輝いた。この年リリースされた「横須賀ストーリー」から阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品を歌い、新境地を開く。結果として引退まで歌うことになる宇崎夫妻の作品の数々は、大ヒットの連続で、百恵の世界を決定的に形作った。この二人を作家として指名したのは、周囲のスタッフではなく百恵本人だった。

1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』では紅組のトリを務めた。ポップス系のトリは、同年白組のトリを務めた沢田研二と共に初めてのことであった。また、10代の歌手が紅白のトリとなったのも百恵が初。その記録は未だに破られていない。

所属事務所「ホリプロ」が東京都目黒区に建てた自社ビルは、百恵の成功によるところが大きいことから「百恵ビル」と呼ばれることもある。

当時の人気作詞家だった阿久悠は、『スター誕生!』の審査委員長であったが、同番組出身である百恵には作品を一切提供していなかった。その理由のひとつとして、「当時は桜田淳子に(詞を)書いていたから、同系統の歌手には書かないことにしていた」と、阿久自身が述べている。2008年に日本テレビ系で放送されたドラマ『ヒットメーカー 阿久悠物語』では、『スター誕生!』のテレビ予選で百恵に対して阿久が「妹役のようなものならいいけれど、歌はあきらめたほうがいいかもしれない」と評したことで、「そのことに傷ついた百恵は作品の提供を阿久に求めなかった」という話に脚色されているが、阿久自身の著書『夢を食った男たち』では前述のオーディションでのエピソードについても率直に記しており、また百恵の魅力についてもかつての倉本聰との対談を差し挟んで語られている。
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1979年10月20日、大阪厚生年金会館のリサイタルでその役柄のイメージのまま、「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、三浦との恋人宣言を突如発表する。その後三浦も記者会見で「結婚を前提にしてつき合っています」と語った。

そして、翌1980年3月7日には三浦との婚約と同時に、「わがままな…生き方をわたしは選びました。(中略)お仕事は全面的に、引退させていただきます」と芸能界引退を公表する。その一方で、迫り来る引退を視野に入れた形でのレコードのリリースや公演の予定を発表。1978年のキャンディーズで定着した引退記念興行が大々的に展開されることになった。

1980年10月5日、日本武道館で開催されたファイナルコンサートでは、ファンに対して「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを言い残し、そして最後の歌唱曲となった「さよならの向う側」で堪えきれずに、涙の絶唱となった。[10]その後、百恵がマイクを置いて、舞台裏へ去っていった(なおこのマイクは現在小樽にある石原裕次郎記念館に展示されている。

正式な完全引退は10月15日のホリプロ20周年記念式典で、その時に歌った曲は「いい日旅立ち」である。式典の後同ホテル内に於いて午後8時半過ぎに引退記者会見が開かれたが、記者の多さから開始直後、前列にいた百名近いスチール用カメラマンと後方のビデオカメラマンとの間で揉める場面もあり中断しかねない状態だった。それでも終始百恵は落ち着いた様子で笑顔も見せている。この会見はこの当日放送された『水曜スペシャル特番 山口百恵 今夜 旅立ち!』(テレビ朝日)で番組の終わりに一部生放送され、これが事実上芸能人として現役最後のテレビ生出演となった。

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引退時は21歳(22歳の誕生日の約3か月前)で、芸能人としての活動はわずか7年半ほどだった。引退までにシングルは31作の累計で1630万枚、LPは45作の累計で434万枚を売り上げた。

引退後も常にマスコミやファンからの注目を集めているが、一貫して芸能界とは距離を置いている。ただし作詞家として活動したことがあり、1982年にアン・ルイスに提供した「ラ・セゾン」がヒットしている。

家庭に入ってからは2人の息子をもうけた。 三浦夫妻宅に不審者が押し入る事件も発生したが、大事もなく解決している。友和によれば百恵は、プライバシーが脅かされる生活に「私は、これ以上芸能界にいたことを後悔したくない」と漏らしたという。長男の通園に備えて自動車教習所に通い始めたころには、教習所の周りを百恵を狙ったカメラマンが囲み、苦悩したという。友和が人権擁護局に助けを求めた翌日には、人権擁護局の注意喚起があったためカメラマンは一人も来なくなったという。 ただし長男の入園式の時はマスコミが自宅、幼稚園を取り囲んだ。さらには強引に中にいる子供にシャッターを向けたため子供が怯える騒ぎとなった。あまりの惨劇に怒った百恵はカメラマンにビンタをした。この出来事は翌週の週刊誌各紙に掲載された。夫三浦友和のエッセイ「被写体」ではこの件に対しても人権擁護局に対応を要請したが担当者に断られたため入園式は強行突破しかないとしている。

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現在はキルト作家として活躍。作品が『東京国際キルトフェスティバル』等の展示会に出品されることも多い。

節目ごとに多くのベスト・アルバムが発売されている。デビュー30周年にあたる2003年には未発表曲1曲を含む24枚組CD-BOX『MOMOE PREMIUM』が発売され、このヒットによりブームが再燃した。

人気絶頂で引退したことから芸能界復帰を望む声は多く時折マスコミでは「百恵芸能界復帰か?」という噂がでるようになる。しかし山口百恵の特集を組んだ番組の放送中に山口直筆のFAXが到着、そこには「芸能界復帰の意思が無い」という内容が直筆のサインとともに送られその後噂は終息した。

引退する前後には中国で百恵ブームが起き、ニュースステーションの評価で「中国人が日本人で想像する人物」のアンケートで1位に輝いた(2位は田中角栄、3位は佐藤栄作)。

引退25年・ホリプロ創立45年にあたる2005年、山口百恵の楽曲を使用したトリビュート・ミュージカル『プレイバックPart2〜屋上の天使』が上演された。ホリプロ創業者の堀威夫によれば、ABBAの楽曲を使用したミュージカル『マンマミーヤ』がヒットしたことに刺激され、何れは人々の記憶から薄れていく可能性がある山口百恵の存在を守っていくのが使命であると考えているとのことである。

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2008年、長男の三浦祐太朗が4人組ロックバンド、Peaky SALT(ピーキーソルト)のボーカル・ギターとして、シングル「イトシセツナナミダ」でメジャーデビューした。

2009年9月、二男である三浦貴大が映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』で俳優デビューし、マスコミでも大きく取り上げられる。




ぴかぴか(新しい)日本武道館さよならコンサートでマイクを置く感動的なシーンですぴかぴか(新しい)







伝説から神話へ 日本武道館さよならコンサート・ライブ







ささやかな欲望(1975)- 山口百恵







しなやかに歌って(1979)- 山口百恵







山口百恵『夜のヒットスタジオ』1







山口百恵『夜のヒットスタジオ』2







山口百恵『夜のヒットスタジオ』3







山口百恵『夜のヒットスタジオ』4







横須賀ストーリー (1976) - 山口百恵







白い約束 - 山口百恵







夏ひらく青春 - 山口百恵







横須賀ストーリー - 山口百恵







謝肉祭 - 山口百恵







美サイレント - 山口百恵







湖の決心 - 山口百恵







としごろ(1973) - 山口百恵







ひと夏の経験(1974) - 山口百恵







青い果実/さよならの向こう側 - 山口百恵







青い果実(1973) - 山口百恵







禁じられた遊び - 山口百恵







禁じられた遊び(1973) - 山口百恵







春風のいたずら(1974)- 山口百恵







春風のいたずら(1974)- 山口百恵







ちっぽけな感傷(1974) - 山口百恵







冬の色(1974) - 山口百恵







湖の決心 - 山口百恵







夏ひらく青春 - 山口百恵







ささやかな欲望 - 山口百恵







白い約束 - 山口百恵







赤い運命(1976) - 山口百恵







横須賀ストーリー - 山口百恵







横須賀ストーリー(1976) - 山口百恵







パールカラーにゆれて - 山口百恵







赤い衝撃(1976) - 山口百恵







初恋草紙 - 山口百恵







夢先案内人 - 山口百恵







夢先案内人(1977) - 山口百恵







プレイバックpart2〜イミテーション・ゴールド(1977) - 山口百恵







イミテイション・ゴールド(1977)Live - 山口百恵







秋桜(1977) - 山口百恵







秋桜(1977) - 山口百恵







赤い絆(レッド・センセーション)- 山口百恵







赤い絆(レッド・センセーション)(1977) - 山口百恵








乙女座 宮 - 山口百恵







乙女座 宮(1978) - 山口百恵






絶体絶命Live - 山口百恵







曼珠沙華 Live - 山口百恵







I CAME FROM 横須賀 Live - 山口百恵







ひと夏の経験 Live - 山口百恵







夢先案内人 Live - 山口百恵







秋桜 Live - 山口百恵







いい日旅立ち(1978) - 山口百恵







美・サイレント(1979) - 山口百恵







曼珠沙華(1979) - 山口百恵







愛の嵐(1979) - 山口百恵







愛の嵐(1979) - 山口百恵







しなやかに歌って(1979) - 山口百恵







愛染橋(1979) - 山口百恵







謝肉祭(1980) - 山口百恵







ありがとう あなた(1975) - 山口百恵






山鳩(1975) - 山口百恵






愛に走って(1976) - 山口百恵







さよならの向う側(夜のヒットスタジオ)







さよならの向う側(1980) - 山口百恵







イントロダクション・春 - 山口百恵







一恵(1980) - 山口百恵







中学生から大人へ 山口百恵 写真集







This is my trial - 山口百恵







不死鳥伝説 - 山口百恵







This is my trial-私の試練 - 山口百恵







ラスト・ソング - 山口百恵







山口百恵〜最後の言葉と「さよならの向う側







日本武道館さよならコンサートで、マイクを置く感動的なシーンです


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posted by ☆★ 杏子 ★☆ at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | ・昭和のアイドル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする